私は、おかげさまで大病もなく今に至っておりますが、昭和14年〜17年までの間、姉妹三人の真ん中の妹が三回も疫痢と言われる病にかかり亡くなりました。朝、元気に幼稚園に出かけ、帰ってきて夕方に亡くなるのです。その頃私たちは新潟に住んでいました。父と母が妹を抱いて大学病院にかけつける様子が今も私の目に焼きついています。また、私が学校に通っている頃仲良しだった友人も同じ病で亡くしました。前日一緒に自転車の稽古をし、翌日の約束をして別れたのに、翌日にはもう会えなかったのです。そんなことを思いながら、書いています。母が湿性肋膜炎にかかって病院に行き、溜まった水を抜いてもらって帰ってくる様子は今も目に焼きついています。
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私が五年生の秋、妹二人と一緒に父の転勤先である村上に越してきたのです。その頃の村上には病院がなく、医師の数も少なく、自宅療養しかなかった時代です。水が溜まると往診をお願いし、抜いてもらっていました。その針の太さ、大きさを私は今でも忘れられません。翌年、母は亡くなりました。その後、村上にも総合病院ができ、専門の先生も来られ、安心して生活することができました。おかげさまで私も娘も出産でおせわになり、父も九十六歳の天寿を迎えることができました。
前おきが長くなりましたが、私は早め早めの治療を望んでいます。五十歳頃より血圧が高くなり通院し、薬を処方して頂いています。
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病院に患者会ができるとの話を耳にし、自分よがりの私は早速入会させて頂き、お世話になっています。
現在は、地域の健康講話を受講したり、お楽しみ会に出席したり、看護婦さんやその他のスタッフの方々、会員さん達のお話を聞いたり、皆さんと男女年齢を問わず、いろいろ教えて頂いています。
また、介護関係に関しては、いろいろ耳にしていますが、これから先どうすれば良いか、年のせいで頭の中が整理できないことも多くなります。そんな時いろいろ教えて頂ければと考えています。これからの会の発展を心より希望しています。
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